震災のフクロウ
2020-03-11


震災の日が来る度に、
再確認するエピソードがあります。

禺画像]


当日主人は仙台駅で地震にあい、連絡が取れなくなった。
私たち家族は既に東京に住んでおり、
2〜3日何処にいるのかも分からなかった。

心配であったが待つことしか出来ない。

会社の支店は閉鎖しており、街中を彷徨い、
避難所で毛布もなくて凍ってしまうのでは?、、との思いだったようだ。

避難所では青森から出張で来ていた市役所の職員さんと行動を共にし、
当時スマホはまだなく(普及していなかった?)、

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[日記]

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